★★★ +++sun+++ ★★★


April 19, 2004

さてと。
Categories: +++sun+++

Posted by a77a at 02:40 AM | Comments (149) | TrackBack

February 04, 2004

松山雅一日原氏
Categories: +++sun+++


kinagani matte tara hajimarukamo 7

7

Posted by a77a at 02:00 AM | Comments (76) | TrackBack

October 07, 2003

ECaSS ついに キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!!! 日本電子が高性能ナノゲート・キャパシタを開発

ついにきました
これで世間のキャパシタに対する見方もおおきくかわるのか?

日本経済新聞報道
 日本電子は高性能の蓄電装置を開発した。鉛電池やリチウムイオン電池に比べ充電時間を大幅に短縮できるうえ、劣化しないため半永久的に使える。素材の大半が炭とアルミであるため廃棄時の環境への影響も低い。すでに電池に代わる蓄電装置として使える技術水準に達しているといい、電機メーカーなどと組みながら、太陽光発電の蓄電用や燃料電池車など幅広い用途での実用化を目指す。将来は携帯電話にも使える可能性がある。

 開発したのは「キャパシター」と呼ばれるコンデンサーの一種。炭素でできた電極に電子をそのまま蓄積する。電池のような蓄電時の化学反応がないため、瞬時に充・放電できる。携帯電話をフル充電するのにかかる時間は80―100分程度とされるが、今回の装置なら1分以内で済むという。 (07:00)

関連リンク:ここにまとまってます → resECaSSアンテナ
 ☆岡村研究所
 ☆ECaSS blog
 ☆日本電子
 ☆ナノゲート・キャパシタのプレスリリース
 ☆Yahoo!掲示板 6951(日本電子)
 ☆2chスレ:日本電子【日本電子】
 ☆2chスレ:【6951】日本電子part2【STORONG BUY】
 ☆バージョンアップ太陽光発電6+ECaSS
 ☆スラド【日本電子が高性能キャパシタを開発】
 ☆dejimah ECaSS関連(サーチで抜いただけw)
 ☆ZDNN:ニュース速報 2003年10月3日 06:54 PM 更新
 ☆dejimah-moblog: 実物写真公開

Posted by @sushi at 01:29 AM | Comments (33) | TrackBack

July 24, 2003

鼻毛でも抜いとけ。
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vita

Posted by a77a at 02:35 AM | Comments (33) | TrackBack

July 18, 2003

ゆっくりしたお祝いバージョン
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こういうとこでお祝いの裸フルムーンパーティとかは?
参加者、全く知らん人でも可。

Posted by a77a at 02:35 AM | Comments (25) | TrackBack

July 01, 2003

★チベットは見捨てられるのか:
Categories: +++sun+++

田中宇の国際ニュース解説 2003年7月1日

ヒマラヤ山中の国ネパールは、中国とインドという二大国にはさまれた小国
だ。ネパールは、中印双方に嫌われないよう、慎重にバランスを維持する外交
政策を続けてきた。

 特にデリケートな分野の一つがチベット問題である。中国は自治拡大や分離
独立を希求するチベット人の政治運動を弾圧してきたが、その一方でインドは、
チベット人の最高指導者ダライラマら無数の難民たちをインド国内に受け入れ、
中国に敵対するチベット人の運動を支援してきた。

 チベット難民がネパールへ逃げ出すのを阻止したい中国と、チベット難民を
中国牽制の道具として使いたいインドという、相反する思惑の2大国にはさま
れているネパール政府は「ネパールに逃げてきたチベット難民は、密入国して
きたばかりの国境近くで捕まえた場合は中国に強制送還するが、国境を抜けて
首都カトマンズ近くまでたどり着けた難民は、捕まえてもUNHCRに引き渡
す」というバランス政策をとってきた。UNHCRは、ネパール当局から引き
渡されたチベット難民をインドに行かせていた。

 ところがこの不文律は、さる5月31日に崩れた。ネパール当局はこの日、
拘留中だった18人の難民を中国国境まで送還し、中国側に引き渡した。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A63185-2003May31.html

 この強制送還の直前には、UNHCRと中国当局との間で、難民の身柄の奪
い合いが起きている。18人の難民は捕まった後に裁判にかけられ、罰金(払
えなければ懲役刑)を科す有罪判決が4月に下っていた。難民たちには罰金を
払う資力がなかったので、UNHCRの意を受けたカトマンズのチベット難民
センターのスタッフが5月29日に監獄に出向き、代わりに罰金を払って難民
たちの身柄を受け取ろうとした。

 すると偶然、同じ時に在カトマンズ中国大使館の係官も、同じ難民たちの身
柄を引き取りに来ていた。中国当局は、ネパール警察の助けを借りて難民たち
を中国側に送還しようとするところだった。

 難民センターのスタッフが急いでUNHCRに電話連絡したため、中国とネ
パール当局が難民を送還しようとしているのが世界的に発覚し、大騒ぎとなっ
た。チベット人や欧米の人権団体が反対したが、難民たちは2日後の5月31
日に中国に送還された。
http://www.tibethouse.jp/news_release/2003/030531_nepal.html

▼中国の人権侵害を黙認するアメリカとインド

 ネパール政府は、このときのチベット難民の中国送還について「例外的な措
置だ」と表明したが、ネパールがチベット難民を中国に送還する傾向を強めた
のは、最近突然始まったことではなく、2001年後半からのことである。
http://www.savetibet.org/News/News.cfm?ID=1841&c=6

 しかも、ネパール政府がチベット難民問題で中国寄りの立場を強めているこ
とに対し、インドは何も制裁的な措置を発していない。インドは、ネパールが
中国寄りの政策をとることを黙認している。またアメリカは、インド在住のチ
ベット難民たちに対し、UNHCRを通じて合計毎年20万ドルを拠出するな
ど、中国封じ込めの立場から、チベット難民の支援に積極的だった。
http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/EF17Df04.html

 だから、5月29日にネパール政府がチベット人を強制送還しようとしてい
ることが発覚したとき、従来のアメリカの政策から考えれば、米国務省の高官
がネパール政府に電話を入れて強く抗議しても不思議はなかった。そうすれば、
2日後に強制送還が実施されることはなかったはずだ。

 アメリカ国務省は強制送還が行われた後、ネパール政府を批判する声明を出
している。しかし、これは欧米の人権団体からの批判をかわすための発表だっ
た可能性がある。イラク戦争後、世界中から恐れられているブッシュ政権がそ
の気になれば、難民の強制送還を止めることは難しくなかったはずだ。強制送
還は、アメリカとインドが黙認すると分かっていて中国が動き、ネパールはそ
れに従った結果、起きたと思われる。

 なぜそのような事態になるのだろう、と思っていたら、先日もっとあからさ
まな出来事があった。6月23日、インドのバジパイ首相が中国を訪問して発
表した中印共同声明の中に「チベット自治区は中国領であり、インドは自国内
でチベット人たちが反中国の政治活動を行うことを許さない」という一文が盛
り込まれたのである。

 今回のインド首相の訪中をきっかけとして、中印関係はこれまでの敵対的な
態度をやめ、経済分野を皮切りとして、親密な関係を築いていくことになると
予測されている。こうした関係強化の犠牲になるかたちで、チベット難民のイ
ンド流出が止められるようになったと考えることができる。

 インドと中国の接近に歩調を合わせるように、今年に入ってダライラマの側
近が2回中国を訪れ、中国政府とチベット問題の解決に向けた話し合いを行っ
ている。インド外務省は「(中国と仲良くなっても)ダライラマを追い出すよ
うなことはしない」と発表したが、このような発表が出てくること自体、チベ
ット人たちが従来のようにインドで問題なく住める状態は、間もなく終わるか
もしれないという懸念につながる。ダライラマが中国政府と話し合いを再開し
た理由がそこにうかがえる。(ダライラマと中国の交渉は1993年から途絶
えていた)
http://sify.com/news/othernews/fullstory.php?id=13180534

 6月23日に、チベットが中国の一部だとインドが認めたのは、以前の見解
をくつがえしたものではない。1950年にチベットが中国の統治下に組み込
まれた後の1954年、すでにインドはチベットに対する中国の統治権を承認
している。インドは今回、以前の承認をより明確にしただけだ。

 それでも、難民問題でネパールが中国寄りの態度に転換したこと、ダライラ
マが中国政府と交渉を再開したことと合わせて考えると、インド首相がこのタ
イミングで「チベットは中国領だ」と表明したことは重要だ。チベット人の自
治要求運動は今後、下火にさせられる可能性がある。

▼冷戦とチベット問題の歴史

 しかし、それによってインドが得るものは、ほとんど何もない。チベットが
中国の一部だとインドが認めたことは、シッキムがインドの一部だと中国が認
めることと交換に行われたと報じられた。だが、インドの新聞サイトには「シ
ッキムやカシミールはインドの一部であり、それを中国が承認しようがしまい
が、大した違いはない。そんな承認と引き替えにチベット人の人権を踏みにじ
っていいのか」といった調子の論文が掲載されている。
http://www.indianexpress.com/full_story.php?content_id=26086

(シッキムはチベットの南、ネパールとブータンにはさまれたヒマラヤ山中の
小さな地域で、古くはチベット王国の属国だったが、1975年にインドが併
合した。中国は「シッキムはチベットの属国だった以上、インド領ではなく中
国領になるべき地域だ」と主張し、インドによる併合を承認していなかった)

 このような論調がある一方で、そもそも歴史を振り返ると、インドがチベッ
ト人の政治運動を引き受けたのは、人権を重視したり、チベットに対するイン
ドの影響力拡大を狙ったりするために行ったものではないことも分かる。イン
ドがチベット問題に首を突っ込んだのは、冷戦時代に中国封じ込めを狙うアメ
リカから頼まれたからだった。

 アメリカ政府は1950年、中国軍がチベット軍を打ち破ってチベットの占
領を進め出したとき、チベットが独立国として存続できるよう協力すべきだと
インドとイギリスに働きかけたが、拒否されている。
http://www.naatanet.org/shadowcircus/init.html

 アメリカは独力でチベット人組織を支援する介入を行い、1957年から
CIAがチベット人ゲリラをサイパン島や米本土コロラド州などで訓練する軍
事作戦が始まった。アメリカはダライラマにも亡命を勧め、いったんは断られ
たものの、1959年に中国占領下で身の危険を感じたダライラマはインドに
亡命した。

 インドと中国(共産党政権)は、1947年と49年に、いずれも社会主義
的な民族主義を掲げて建国した。そのため最初は仲が良かったが、その後米ソ
冷戦が激化し、中ソ対立も表面化する中で、中印関係も悪化した。1962年
にはカシミール北東部(アクサイチン)の帰属をめぐって中印が戦い、インド
が負けてしまった。このあと、インド政府はアメリカの対チベット作戦に協力
するようになった。

 ところがアメリカでは1969年にニクソンが大統領に就任し、冷戦下の中
国敵視政策から、中国との国交回復へと政策を大転換した。ニクソンの当選が
決まった1968年末、ダライラマのチベット亡命政府は、CIAから対中国
軍事作戦の援助を打ち切ると通告された(ニクソンは、立候補したときから中
国との国交正常化を方針にしていた)。
http://www.naatanet.org/shadowcircus/shang8.html


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▼中国政治自由化の挫折と「人権外交」

 その後、ニクソンがウォーターゲート事件で追い落とされ、中国も文化大革
命の混乱が続いたが、それらが落ち着いて中国がトウ(鄧)小平による近代化
路線を走り始めた後、1979年に米中間の国交が正式に樹立され、再びチベ
ット問題も動き出した。同年のうちにトウ(鄧)小平はダライラマの側近
(実兄)を北京に招待し、チベット亡命政府との交渉を再開した。

 中国政府は当時、経済だけでなく政治も自由化するリベラル化を模索してお
り、トウ(鄧)小平は「チベット側が独立を希求せず、自治で満足するならば
話し合いで問題を解決する」という姿勢を見せた。

 だが結局、中国政府は政治の自由化を成功させられなかった。そのクライマ
ックスが、民主化運動が激高し、当局の弾圧で終わった1989年6月の天安
門事件だったが、チベットでもこの3カ月前にラサで暴動があり、当時チベッ
ト自治区の共産党書記だった胡錦涛(現国家主席)によって、ラサに戒厳令が
敷かれた。

 この前年の1988年には、ダライラマが「高度な自治が得られれば、チベ
ットの独立を求めない」と表明し、インドのラジブ・ガンジー首相が中国を訪
問して中印関係の好転を模索するなど、中国とチベットやインドとの関係を良
くする努力も行われたが、天安門事件後、こうした流れも止まった。

 天安門事件後、アメリカは中国当局の民主化弾圧を非難し、中国に対する経
済制裁を開始する「人権外交」をスタートさせた。アメリカの「人権重視」は
ヨーロッパなど「国際社会」を巻き込むことに成功した。だがこれは、政治の
リベラル化を試みた末に失敗し、結果が天安門事件を起こしてしまったという
中国側の事情を重視するなら、人権に名を借りた、アメリカ主導の新手の「中
国包囲網」の構築だったといえる。

 アメリカは人権外交に基づき、中国側からネパールに入ってきたチベット難
民をインドに移送する事業を1990年からUNHCRに開始させた。今年5
月31日まで続いていたネパール政府のバランス重視の難民対策は、このとき
から始まった。

 天安門事件後はインドと中国の関係も冷え、1998年にインドが24年ぶ
りに核実験を実施したとき、インド政府はアメリカ政府に「中国の脅威に対抗
するために核実験を行った」という趣旨の書簡を送っている。(中国は以前か
らインドの核武装に脅威を感じていないと表明しており、これは濡れ衣だった
と指摘されている)
http://www.indianexpress.com/full_story.php?content_id=25714

 チベットも、この流れの中で「反中国」の動きに転じた。ダライラマは
1997年に台湾を訪問し、台湾国内の大陸系勢力の弱体化を狙う李登輝総統
との親密さを世界に印象づけるなど「反中国」の活動を強化した。
http://www.atimes.com/atimes/China/EE23Ad02.html

 しかしこの時期、中国包囲網の主導者だったアメリカ自身が、再び中国と親
密化する方向に転じていた。トウ(鄧)小平の改革開放路線が軌道に乗り、高
度経済成長が始まった中国に対し、軍事的な利益を優先する封じ込め政策をと
るより、経済的な利益を優先する親密化政策をとった方が良いという方針転換
だった。

 2001年1月にクリントンから交代したブッシュ政権は、タカ派(ネオコ
ン)と中道派の内部対立が外交政策にも影響を与え、政策が揺れる政権になっ
た。タカ派は軍事的な世界支配の観点から中国封じ込め政策を重視し、中道派
は経済的な利益から中国との親密化を維持しようとして対立した。

▼テロ戦争と中国包囲網の行方

 2001年の911事件後、さらに状況が変化した。タカ派は「テロ戦争」
という新たな軍事的世界支配のロジックを得て、アフガニスタンのテロリスト
を退治するという名目で中国の裏側にあたる中央アジアに新しい米軍基地を作
った。中国沖の太平洋岸に横たわるフィリピンでは、イスラムゲリラとの戦い
に米軍が増派された。アメリカはインドとの軍事関係の強化も模索し、インド
の基地を米軍が使えるようにすることを目指した。

 このように、テロ戦争という新たな大義名分を使ってアメリカが中国包囲網
を維持強化できるようになった代わりに、チベットの人権問題を使った中国包
囲網が以前より重視されなくなったのではないか、と考えられる。

 以前の記事でいろいろと分析してきたとおり、米政権内部のタカ派と中道派
の対立は、イラク戦争後も続いていると思われる。タカ派の国防総省は、軍事
的な中国包囲網を維持する政策を続けているが、中道派の国務省はその逆に、
北朝鮮問題の解決を中国主導で行うようにしたり、チベット難民の中国への強
制送還を黙認するなど、中国が東アジアでの覇権を拡大できる素地を作ってい
る。

 こうした米政権内部の食い違いが、戦略として故意に行われている(2種類
の政策を使い分けている)のか、それとも対立の結果不本意な事態になってい
るのか、というあたりは、現時点では判断がつかない。

 6月末には、中国側からネパールに越境してきたところでネパール当局に捕
まったチベット難民19人が、中国側ではなくUNHCR(アメリカ・インド
側)に引き渡された。5月30日には中国寄りになったネパール政府は、6月
30日には中国から距離を置くように再び態度を変えた可能性がある。
http://www.savetibet.org/News/News.cfm?ID=1854&c=6

 ネパールがバランス外交を採らざる得ないことを考えると、この揺れは、ネ
パール政府の政策の変化というより、アメリカの政権中枢で、中国に対してど
のような態度をとるか、チベット問題をどう扱うかという点に関して、揺れや
内紛があることから起きていると思われる。

 6月23日からインドのバジパイ首相が中国を訪問したことはすでに書いた
が、その翌日の6月24日にはパキスタンのムシャラフ大統領がアメリカを訪
問している。アメリカ(国務省)がカシミール問題を中心としたインドとパキ
スタンの対立を解決しようとしているようだということは前回の記事
( http://tanakanews.com/d0624kashmir.htm )に書いたが、パキスタンは軍
事的、経済的に中国から多大な支援を受けてきた経緯があり、印パ対立を解決
するには中国の力を借りることが必要だ。

 そう考えると、まずチベット問題など中国とインドの間に横たわる問題を放
棄し、中印関係を良好にすることが、パキスタンの問題を解決し、アフガニス
タンや中東をも安定化させることにつながってくる。
http://www.indianexpress.com/full_story.php?content_id=25566

 多くのチベット人が中国の圧政下で不幸な生活を送ってきたが、その一方で、
圧政から逃れるためにはアメリカの世界支配の「道具」になることが必要で、
アメリカの対中政策が揺れるたびに振り回されてしまう、というのもまた国際
政治の現実なのだった。


この記事はウェブサイトにも載せました。
http://tanakanews.com/d0701tibet.htm


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●関連記事など

米中関係とネオコンの行方
http://tanakanews.com/d0617neocon.htm

カシミールでも始まるロードマップ
http://tanakanews.com/d0624kashmir.htm

ドル安ユーロ高とアジア
http://tanakanews.com/d0528dollar.htm

Nepal's right royal political muddle
http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/EF06Df02.html

Vajpayee's trip to China could tip balance of power
http://www.taipeitimes.com/News/edit/archives/2003/05/19/211207

Analysis: China's Indian dilemma
http://www.upi.com/view.cfm?StoryID=20030620-040511-1555r

Wary of US, India eyes China again
http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/ED29Df03.html

China and India look for closer links
http://news.ft.com/servlet/ContentServer?pagename=FT.com/StoryFT/FullStory&c=StoryFT&cid=1054966350680

Tibetan exiles see hope in strong India-China ties
http://www.timesoftibet.tibetsearch.com/artman/publish/article_1535.shtml

Background Information on Hu Jintao
http://www.savetibet.org/News/News.cfm?ID=981&c=27

Compromise on Tibet?
http://www.hindustantimes.com/news/181_289636,001300370003.htm

Posted by a77a at 04:21 PM | Comments (24) | TrackBack

June 27, 2003

このエレベーターは宇宙へ参ります!
Categories: +++sun+++

ついに「Space Elevator」建設へ始動

米LiftPortは、米国宇宙協会(National Space Society)が進めている、
地球と宇宙ステーションを結ぶエレベーター「Space Elevator」建設計画への正式な参加を表明した。
2018年4月12日が運行開始予定日とアナウンスされている。

Space Elevatorを、サイエンス・フィクションの世界ではなく、
現実の宇宙計画として科学的な観点から綿密なる研究調査を行うプロジェクトに、
これまで半世紀以上の歳月が費やされてきた。
NASAの研究所となるInstitute for Advanced Concepts(NIAC)を始め、
Eureka Scientific、HighLift Systemsなどの研究機関が調査に加わり、
すでに技術的な見地からは、Space Elevatorの建設着手にゴーサインを出す報告書が提出されている。

これを受けて、National Space Societyは、Space Elevatorの建設計画に対する
社会的な認知度を上げることにより、世界各国の協調と理解を得られるとのコンセプトから、積極的なPR活動を展開中。建設には巨額の費用がかかるものの、完成すれば、
宇宙に向けてロケットを打ち上げるよりも、
はるかに少ない費用で安全かつ容易に宇宙計画を進められるとのメリットが強調されている。

LiftPortは、実際の建設作業を担うことになっており、太平洋上の赤道付近に海上プラットフォームを設置予定。
そこから約62,000マイル(約10万キロメートル)上空の宇宙ステーションに向けて、
カーボン・ナノチューブ製の帯状エレベーター通路(Ribbonと呼ばれる)を作り上げ、
地球と宇宙を結ぶSpace Elevatorが実現するという。

大気圏外には約4時間で到達し、エレベーターの最大積載量は5トン。
海上プラットフォームと宇宙ステーションを、1年に数百回の往復が可能という。
通信衛星や、太陽エネルギーを利用した発電システムといった物資の輸送のみならず、
人間を乗せて運行することも計画されており、手軽な宇宙旅行が実現することになるかもしれない。

エレベーターに乗って宇宙へ行ける……!? いまだ信じ難い話ながらも、
LiftPortのホームページ上では、「Countdown to Lift: April 12, 2018」と表示されて、
目立つ蛍光色で、Space Elevatorの運行開始に向けたカウントダウンがスタートしている。
また、National Space Societyは、「Roadmap to Space Settlement」と題するレポートにおいて、
宇宙に人間が居住するためのロードマップ計画の重要ステップに、Space Elevatorを位置付けている。

National Space SocietyのBrian Chase氏は、
「現行の宇宙への輸送システムをサポートすることも重要ではあるが、
飛躍的な成功をもたらす可能性を秘めた技術を調査し、
実用化していくことも非常に重要であると信じている」とのコメントを発表しており、
Space Elevatorへの大きな期待を表明した。

上空より宇宙へ打上げ! ウイングがポイントの「SpaceShipOne」で宇宙飛行

NASA、宇宙からの貴重映像を「Visible Earth」で公開中

星からメッセージが降ってくる - 宇宙ステーション使用した新サービス開始

宇宙でも環境保全が必要な時代に? - 産総研の「宇宙メンテナンスロボ」開発

National Space Society

LiftPort
(MYCOM PC WEB)

Posted by a77a at 02:38 PM | Comments (22) | TrackBack

June 24, 2003

PowerPC 970
Categories: +++sun+++

970!!欲しい。IBMがんばれ
『アップルストア』サイトから流出した『パワーマックG5』の仕様

焼けつくようなバンド幅・・だって。燃えてる。


いいなあ。


新パワーマックの基本的なシステム構成は、3種類となっている。1.6GHz、1.8GHzのシングルプロセッサー搭載モデルと、2GHzのデュアルプロセッサー搭載モデルだ。

 パワーPC 970は、ハイエンドのサーバー用に設計された64ビットチップの簡易版となっている。今日パソコンに搭載されているチップは、ほとんどが32ビット。このため、パワーPC 970の2~3倍のクロック速度で動作するインテル系プロセッサーと比べても、64ビットのパワーPC 970は性能で遜色がないかもしれないと専門家たちは述べている。

 新しいマシンは、最高1GHzのフロントサイド・バスを装備しており、メモリを含む内部ハードウェアとプロセッサーが情報をやり取りする速度が大幅にスピードアップするという。現行パワーマックG4は167MHzのバスを使用している。またメモリ容量も拡大しており、現行のG4の最大2GBに対し、新型パワーマックは最大8GBの『DDR RAM』に対応する。

--------------------------------
xeon4Gより早いかな?
値段は・・
xeon組むのにも金かかるからコストもいい勝負するかも。

Posted by a77a at 02:28 AM | Comments (39) | TrackBack

June 21, 2003

今年の夏はこれでキマリ!
Categories: +++sun+++

Posted by a77a at 11:27 PM | Comments (26) | TrackBack

June 15, 2003

takeeyo
Categories: +++sun+++



Aと書かれたマスとBと書かれたマスは同じ色です。
嘘だと思ったらそれぞれのマスを切り取って並べて見比べて下さい。
AのマスもBのマスも全く同じ色です。


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June 11, 2003

きたよw
Categories: +++sun+++


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June 08, 2003

独フォークリフト
Categories: +++sun+++


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May 22, 2003

フラー
Categories: +++sun+++ | books | eco | energy | governance | hope | texts

デザインサイエンス革命とは何か-『クリティカル・パス』 (白揚社刊) 訳者あとがきにかえて
梶川泰司(シナジェティック研究所所長)


1. モルモットBとの出会い
フラーは私にとって真に尊敬できるはじめての先生である。高校を中退してから後に出会った先生である。――性格には高校の一年生からほとんど出席しなかったが、学校は在籍して欲しくなかったので卒業資格を捏造してビジネス上卒業させてくれたのだが。
一九八一年七月十八日、私はフラーと個人的に会った。フィラデルフィアにあるフラーの研究所のすぐ近くにあるホテルに滞在する彼を訪ねた。ルームナンバーは”1001”であった。それを見た瞬間、彼は世界のどこでもこの数字の部屋を予約しているに違いないと思った。『アラビアンナイト』で知られる千一の物語によって殺害を免れた女性の名前にちなんだシェヘラザードナンバーと呼ばれるこの数字から、フラーは二〇世紀数秘術の最後の神秘を引き出した。彼は、この数字を二乗しても三乗しても、いつも数字の配列が左右対称になることを発見していた。その部屋で私は「シナジェティックス」に関連した五つの異なった研究テーマをプレゼンテーションした。彼は即座に、そのうち四つは”新しい”と判断した。とくに、動力学的にモデリングされたプラトンの正十二面体が五つの正四面体に連続的に変換されるトポロジーに興味を持った。彼なりに理論を確認できるまでそのモデルで試行錯誤を繰り返し、「これはシナジェティックスにとって強い概念になる」とその場で断言したのは驚きであった。紹介も推薦もない私のアイデアのすべてを深く受け止めてくれた感動は、以後の彼との共同作業の絆となった。その場で考えて価値判断をするこの行為は、他人に対する知的な配慮というよりは、創造性の自然な輝きの結果として思い出される。
その日から、バックミンスター・フラー研究所の客員研究員として滞在することになった。個人的な興味から始めてついに新しいことを発見したことだけ確認すれば、彼にはそれで十分だった。どこから来てどこに住んでいたのか、あるいは年齢さえも、この個人教授と同時に展開された研究協力期間に一度として尋ねられなかった。そんな言わずにすむという話で人生が満ちていれば、実際はもっと純粋な興味だけに時間を使えるだろうと誰でも想像するに違いないが、実際に起こってしまったこの経験は、彼に会う前の私のイメージと見事に一致していた。フラーは、実際の人格と行動(著作行為と科学的行為を含む)との間の矛盾がより少ない、数少ない作家の一人である。それは、矛盾を少なくするためにそうなったのではなく、総合的に思考した結果といえる。
その後フラーは最後の著作になるだろうという決意から、絶対的な数学的証明だけで構成される本を書く準備に入ったが、その本の一章分を私のトポロジー研究に割り当てると論文を求めた。他にはスウェーデンの若い量子物理学者が予定されていただけである。しかし、この著作は結局遺作となり、彼自身による絶対的なシナジェティックスの証明の連続性は未完のままとなった。この間の書簡や研究結果はすべて、一九八一年から彼が亡くなった一九八三年の年代別「クロノファイル」に保管され、いまでもR.バックミンスター・フラー研究所で他のすべてのアーカイブと共に公開されている。「クロノファイル」とは彼が三歳の時に開始した自己の記録を時間順序で残すことをより徹底化した年代記であり、一九二七年から第三者に公開され続けてきた人類最初の個人の「ホームページ」であった。最晩年にはその総重量は四五トンにも達してた。
新しい概念を表すシナジェティックス・モデルはすべて宇宙のシステムから「発見されたモデル」だと考えていた彼の哲学の全体像とこの「ホームページ」の関係に「宇宙の中の人間」という意識と、すべては個人とのつながりから始まるという信念を感じる。科学的探究に、学的党派性のような政治形態の変形は時代遅れであった。創造性と公開性に溢れた個人で実行可能なこのシステム以上に、彼の誠実さを表しているものはない。私にとってのモルモット「B」(第4章にその歴史があるがバックミンスターのBである)との出会いは、偉大な教師の個人教授から始まったが、彼が与える無限の自由は新しい研究テーマを見つけようとしている多くの研究者にとっては束縛のように思われていた。彼が歩いた後には草木も生えないと思わせられるくらい無数の新しいアイデアで埋め尽くされていくと同時に、ひとかけらの「競争心」に燃える若い研究員がひどく打ちのめされて一方、私は「数学」は「経験」から作り出されていく姿を日々確認できた
「生命圏(バイオスフィア)」「持続可能性」「再生的」「エコロジー」「量産住宅」などは一九二七年フラーの最初の出版物で地球環境デザインに関連させて最初に使用されたことすら、歴史から忘れ去られようとしている。「宇宙船地球号」、「衛星教育放送」そして最近の「電子クレジットカード」などは最も馴染みのあるフラーコンセプトとなったが、その起源さえも薄らいできた。しかし、フラーのゆるぎない経験と確証のもとで書かれた偉大なこの『クリティカル・パス』を翻訳する期間に展開した日本経済の劇的な変化は、次第にフラ-の記述と一致するようになった。本書は一九八一年に出版され、その日本語訳をめざして過去に何人かの翻訳者と複数の出版社が関わりをもったが、いずれの場合も途中で放棄されたという前例があり、私は今回のこの出版の機会を再び無にすれば、西暦二〇〇〇年までに日本語化の可能性はもうないだろうと考えた。私が身近に接し、また共同研究の時を過ごしたことでフラ-の重要なメッセージを知っている以上、フラ-の難解さがその長文と造語から生じるというおきまりの逃げ口上は、私には使えなかった。もっとも後者の理由は適切ではない。独創的な科学論文にみられるように、発見された事実を説明するために登場する最小限の新しい科学用語以上には、フラ-は造語を使っていない。フラ-は造語には慎重である。彼が使用するときは、それ以外のことばでは概念を適切に表現できない場合だけである。そもそも本書は思想への深い理解がないまま翻訳するという、創作行為を迂回する口実が通用する内容ではない。語学力と誠実さが不足した過去の似た話は、自分の翻訳では避けようとする小さからぬ決意があった。しかし、九五年から開始した超軽量構造物のテンセグリティシェルターの開発とこの翻訳が完全に重なってしまった。それぞれに連続した時間を必要とするこの種の翻訳と、デザインサイエンスのモデリングやデザイニングとは互いに圧迫するまでになった。今この翻訳の完成を素直に受け入れられないのは、個人的には六年間の睡眠時間の一部とほとんどの休日の変形そのものであるという記憶が生々しいからである。
しかし、すべてはフラ-がしようとしていたことへの理解から始まる。
『クリティカル・パス』はデザインサイエンス革命論であると同時に、デザインサイエンス革命マニュアルである。
一九六九年に出版された『宇宙船地球号のための操縦マニュアル』はこの本を理解するための概論といえる。晩年の世界中の講演依頼や仕事のためにほとんど飛行機の中に住んでいた(どこに住んでいるのかという質問に彼はそう答えていたが、その頃の聴衆はそれが彼流のジョークだとして聞き流していた)時に、実際に機内で口述筆記された後に加筆するという彼独特の形式で編集された『宇宙船地球号のための操縦マニュアル』の総集編(正確には第5~10章)と考えてよい。ただし、「自己規律」(第4章)はこれらのアプリケーションを作り出したOS(オペレーティングシステム)としてはじめて開示している。それは政治経済システムOSと全面的に対立している。一千万人に一人しか理解できないという著者の経験的な奇妙に自信に満ちた記述に、読者は困惑するだろう。その確立では、この翻訳を契機にしても、フラ-思想の中枢であるOSの理解者は生まれないかもしれない。

本書との出会いは、すでにふれたように私が最初の渡米でフラ-に会ったその夏の出版直後に行われた研究所主催の講義で使用されたテキストとしてであったが、残された時間のなかで伝えなければならなかった内容に満ちあふれている。それからかなりの時間が経過したが、書かれた内容が依然意味を持っているのは、危機的な状況がさらに最終段階に達したからである。かつて私も含めて『宇宙船地球号のためのマニュアル』を六〇年代の「古典」と読み違えたように、『クリティカル・パス』が遅すぎた八〇年代の「古典」になる日が来るとは決して思えない。


2. 権力のテクノロジー
フラ-の読み違いはほとんどなかったといってよい。ソ連の崩壊を早めたチェルノブイリ原発の炉心溶解を間接的に引き起こした、官僚の腐敗から生じる危機管理システムの致命的な弱点はフラ-のクリティカル・パスの予測にはなかった。それは、アポロ13号において NASAのクリティカル・パスで考慮されなかったã