★★★ eco ★★★


October 04, 2003

超音速の衝撃波で廃棄物粉砕、神和工業が装置開発
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http://www.nikkei.co.jp/news/retto/20031003c6b0302u03.html
超音速粉体化処理装置「しんわエコジェット雷神」は、島田荘平・東大大学院助教授(環境学)の実験結果を基に商品化した。ジェットエンジンの原理を応用し、バーナーの中に入れた圧縮空気と燃料の灯油を燃焼させ、爆発し膨張した燃焼ガスをノズルから噴射させる仕組み。  これによりマッハ2以上の超音速の衝撃波が生まれ、処理物はミクロン単位の粉末に破砕される。また、破砕によりかくはんされた摩擦熱で、含水率の高い処理物も乾燥する。処理物の容積は5分の1から10分の1になり、含水率の高いものは重量も同程度減る。

ちょっとやばそうだなーこれは 絵が見たい
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May 22, 2003

フラー
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デザインサイエンス革命とは何か-『クリティカル・パス』 (白揚社刊) 訳者あとがきにかえて
梶川泰司(シナジェティック研究所所長)


1. モルモットBとの出会い
フラーは私にとって真に尊敬できるはじめての先生である。高校を中退してから後に出会った先生である。――性格には高校の一年生からほとんど出席しなかったが、学校は在籍して欲しくなかったので卒業資格を捏造してビジネス上卒業させてくれたのだが。
一九八一年七月十八日、私はフラーと個人的に会った。フィラデルフィアにあるフラーの研究所のすぐ近くにあるホテルに滞在する彼を訪ねた。ルームナンバーは”1001”であった。それを見た瞬間、彼は世界のどこでもこの数字の部屋を予約しているに違いないと思った。『アラビアンナイト』で知られる千一の物語によって殺害を免れた女性の名前にちなんだシェヘラザードナンバーと呼ばれるこの数字から、フラーは二〇世紀数秘術の最後の神秘を引き出した。彼は、この数字を二乗しても三乗しても、いつも数字の配列が左右対称になることを発見していた。その部屋で私は「シナジェティックス」に関連した五つの異なった研究テーマをプレゼンテーションした。彼は即座に、そのうち四つは”新しい”と判断した。とくに、動力学的にモデリングされたプラトンの正十二面体が五つの正四面体に連続的に変換されるトポロジーに興味を持った。彼なりに理論を確認できるまでそのモデルで試行錯誤を繰り返し、「これはシナジェティックスにとって強い概念になる」とその場で断言したのは驚きであった。紹介も推薦もない私のアイデアのすべてを深く受け止めてくれた感動は、以後の彼との共同作業の絆となった。その場で考えて価値判断をするこの行為は、他人に対する知的な配慮というよりは、創造性の自然な輝きの結果として思い出される。
その日から、バックミンスター・フラー研究所の客員研究員として滞在することになった。個人的な興味から始めてついに新しいことを発見したことだけ確認すれば、彼にはそれで十分だった。どこから来てどこに住んでいたのか、あるいは年齢さえも、この個人教授と同時に展開された研究協力期間に一度として尋ねられなかった。そんな言わずにすむという話で人生が満ちていれば、実際はもっと純粋な興味だけに時間を使えるだろうと誰でも想像するに違いないが、実際に起こってしまったこの経験は、彼に会う前の私のイメージと見事に一致していた。フラーは、実際の人格と行動(著作行為と科学的行為を含む)との間の矛盾がより少ない、数少ない作家の一人である。それは、矛盾を少なくするためにそうなったのではなく、総合的に思考した結果といえる。
その後フラーは最後の著作になるだろうという決意から、絶対的な数学的証明だけで構成される本を書く準備に入ったが、その本の一章分を私のトポロジー研究に割り当てると論文を求めた。他にはスウェーデンの若い量子物理学者が予定されていただけである。しかし、この著作は結局遺作となり、彼自身による絶対的なシナジェティックスの証明の連続性は未完のままとなった。この間の書簡や研究結果はすべて、一九八一年から彼が亡くなった一九八三年の年代別「クロノファイル」に保管され、いまでもR.バックミンスター・フラー研究所で他のすべてのアーカイブと共に公開されている。「クロノファイル」とは彼が三歳の時に開始した自己の記録を時間順序で残すことをより徹底化した年代記であり、一九二七年から第三者に公開され続けてきた人類最初の個人の「ホームページ」であった。最晩年にはその総重量は四五トンにも達してた。
新しい概念を表すシナジェティックス・モデルはすべて宇宙のシステムから「発見されたモデル」だと考えていた彼の哲学の全体像とこの「ホームページ」の関係に「宇宙の中の人間」という意識と、すべては個人とのつながりから始まるという信念を感じる。科学的探究に、学的党派性のような政治形態の変形は時代遅れであった。創造性と公開性に溢れた個人で実行可能なこのシステム以上に、彼の誠実さを表しているものはない。私にとってのモルモット「B」(第4章にその歴史があるがバックミンスターのBである)との出会いは、偉大な教師の個人教授から始まったが、彼が与える無限の自由は新しい研究テーマを見つけようとしている多くの研究者にとっては束縛のように思われていた。彼が歩いた後には草木も生えないと思わせられるくらい無数の新しいアイデアで埋め尽くされていくと同時に、ひとかけらの「競争心」に燃える若い研究員がひどく打ちのめされて一方、私は「数学」は「経験」から作り出されていく姿を日々確認できた
「生命圏(バイオスフィア)」「持続可能性」「再生的」「エコロジー」「量産住宅」などは一九二七年フラーの最初の出版物で地球環境デザインに関連させて最初に使用されたことすら、歴史から忘れ去られようとしている。「宇宙船地球号」、「衛星教育放送」そして最近の「電子クレジットカード」などは最も馴染みのあるフラーコンセプトとなったが、その起源さえも薄らいできた。しかし、フラーのゆるぎない経験と確証のもとで書かれた偉大なこの『クリティカル・パス』を翻訳する期間に展開した日本経済の劇的な変化は、次第にフラ-の記述と一致するようになった。本書は一九八一年に出版され、その日本語訳をめざして過去に何人かの翻訳者と複数の出版社が関わりをもったが、いずれの場合も途中で放棄されたという前例があり、私は今回のこの出版の機会を再び無にすれば、西暦二〇〇〇年までに日本語化の可能性はもうないだろうと考えた。私が身近に接し、また共同研究の時を過ごしたことでフラ-の重要なメッセージを知っている以上、フラ-の難解さがその長文と造語から生じるというおきまりの逃げ口上は、私には使えなかった。もっとも後者の理由は適切ではない。独創的な科学論文にみられるように、発見された事実を説明するために登場する最小限の新しい科学用語以上には、フラ-は造語を使っていない。フラ-は造語には慎重である。彼が使用するときは、それ以外のことばでは概念を適切に表現できない場合だけである。そもそも本書は思想への深い理解がないまま翻訳するという、創作行為を迂回する口実が通用する内容ではない。語学力と誠実さが不足した過去の似た話は、自分の翻訳では避けようとする小さからぬ決意があった。しかし、九五年から開始した超軽量構造物のテンセグリティシェルターの開発とこの翻訳が完全に重なってしまった。それぞれに連続した時間を必要とするこの種の翻訳と、デザインサイエンスのモデリングやデザイニングとは互いに圧迫するまでになった。今この翻訳の完成を素直に受け入れられないのは、個人的には六年間の睡眠時間の一部とほとんどの休日の変形そのものであるという記憶が生々しいからである。
しかし、すべてはフラ-がしようとしていたことへの理解から始まる。
『クリティカル・パス』はデザインサイエンス革命論であると同時に、デザインサイエンス革命マニュアルである。
一九六九年に出版された『宇宙船地球号のための操縦マニュアル』はこの本を理解するための概論といえる。晩年の世界中の講演依頼や仕事のためにほとんど飛行機の中に住んでいた(どこに住んでいるのかという質問に彼はそう答えていたが、その頃の聴衆はそれが彼流のジョークだとして聞き流していた)時に、実際に機内で口述筆記された後に加筆するという彼独特の形式で編集された『宇宙船地球号のための操縦マニュアル』の総集編(正確には第5~10章)と考えてよい。ただし、「自己規律」(第4章)はこれらのアプリケーションを作り出したOS(オペレーティングシステム)としてはじめて開示している。それは政治経済システムOSと全面的に対立している。一千万人に一人しか理解できないという著者の経験的な奇妙に自信に満ちた記述に、読者は困惑するだろう。その確立では、この翻訳を契機にしても、フラ-思想の中枢であるOSの理解者は生まれないかもしれない。

本書との出会いは、すでにふれたように私が最初の渡米でフラ-に会ったその夏の出版直後に行われた研究所主催の講義で使用されたテキストとしてであったが、残された時間のなかで伝えなければならなかった内容に満ちあふれている。それからかなりの時間が経過したが、書かれた内容が依然意味を持っているのは、危機的な状況がさらに最終段階に達したからである。かつて私も含めて『宇宙船地球号のためのマニュアル』を六〇年代の「古典」と読み違えたように、『クリティカル・パス』が遅すぎた八〇年代の「古典」になる日が来るとは決して思えない。


2. 権力のテクノロジー
フラ-の読み違いはほとんどなかったといってよい。ソ連の崩壊を早めたチェルノブイリ原発の炉心溶解を間接的に引き起こした、官僚の腐敗から生じる危機管理システムの致命的な弱点はフラ-のクリティカル・パスの予測にはなかった。それは、アポロ13号において NASAのクリティカル・パスで考慮されなかったことから発生した危機的な状況とは異なっている。冷戦というポーカーゲームは参加すれば勝つか負けるかであって、勝率は双方の軍事的クリティカル・パス法では常に五〇%であるが、どんな状況が発生しても確実な方法で安全にパイロットを他の天体から地球に帰還させなければならない「ゲーム」を前提にしないアポロ13号の危機は、「科学的に定義された危機から逸脱した事故」という意味で本質的に危機である。
フラ-が亡くなった一九八三年に、レーガン政権はソ連に対して攻撃的な戦略をとり、第二次冷戦が開始された。彼らは戦略的防衛構想(SDI)で最も金のかかる宇宙空間の覇権で一か八かの勝負に出た。ソ連の政治体制の崩壊は、軍事システムの地理的心臓部であるアフガニスタンからソ連軍の撤退を余儀なくさせた、経済システムの崩壊から連鎖反応した結果である。軍事力で敗北したわけではないのはナチズムと同じである。今ロシアでは、西部開拓のカウボーイたちがわれ先に杭を打ったところがそのまま自分の領土になったときのような、資本主義の領土化が蔓延しているかに見える。これはイデオロギーの危機であって「宇宙船地球号」のアポロ13号のような危機とは区別されるが、膨大な富が失われて本来の進化を停滞させていることには変わりない。

フラ-に難解さは存在しない。あらゆる科学原理が子供に理解可能なように。
難解な知識は専門化が自らを失業させないために作り出した方言だ。日本では六〇年代に建築家達がフラ-を好んで紹介したので、フラ-の全体像の中から最も個性ある建築技術者としてのイメージだけが、彼らの方言で編集された。彼の権力テクノロジーの分析は政治経済の批判とともに忘却されたばかりか、七〇年代のカウンターカルチャーの(日本ではサブカルチャーの)最高指導者に位置付けられた。地球環境保護の理論指導者としてのカリスマのなかに幽閉されたのはもちろん国家的科学が絶え間ない遊牧的な発明の圧力を文化的に投獄した姿であり、技術的実現性を効果的に無効にする確実な方法であったと思う。八〇年代の特に建築家たちの「七〇年代のジオデシック球は終わった」という意見は、月に行く時の起動計算でニュートン力学は終わったという意見に等しい。ジオデシックパターンの大量生産を最も恐れているのは建築家である。試作車を一台もつくることなくすべてコンピュータ上で量産設計が可能な時代に、サイン入りの住宅を個別に作る仕組みによって設計費を維持する建築家集団は、二一世紀には、機能に対して投入される物質を最も非効率的に設計する時代遅れの専門家集団となる。また最近の「テンセグリティは安全な建築構造にはなりえない」という彼らの意見は、人体や細胞の主要な構造システムを自ら否定したその矛盾に気ついていない。神経組織から細胞組織、筋肉と骨格の関係、そしてそれらの成長と運動に至るまでテンセグリティ構造に直接関係することがわかっている。生命進化でこれほど広範囲に使用される構造システムは安全で経済的であることがすでに実証されているのである。
一方、今でもほとんどのフラ-の思想の熱心な支持者でさえ、彼の一九四〇年代のドームに関する科学的ノウハウも分析できていない。これらの技術思想までも抑圧するメカニズムこそ、権力構造の主たる機能の一つである。
あるのは支配の欲望による難解な隠蔽のされ方だ。それを表すときの難解な修辞法だ。(それは政治家には魅力的な修練だと思われている。)バブル経済?つまり土地から「蒸発して」すっかり消えていく富は、経済学の主要な概念の一つである。「蒸発」に関して物理学との概念の互換性はゼロである。たとえば、水は蒸発して水蒸気となり、地表で凝結して霧となり、あるいは空間で凝結して雲になる。その凝結作用を無視した銀行システムは、借金をチャラにしていつでもリスタートできる擬似システム(=破綻できる会計システム)でバックアップされている。物質的な富を扱うはずの銀行システムが、非物理的に消えていく富を合法化するのである。その経済システムは、都合が悪くなればひたすらフリーズするバグだらけのOSだ。OSを大規模に社会主義化して暫定的に銀行を国家管理する期間を「恐慌」と呼んでいる。その間は大規模な産業再統合が進むが、産業は決して衰退するわけではない。局所的な生産力の低下や廃止を利用し、大衆に生産力の枯渇化のイメージを心理的に操作して大規模な搾取を覆い隠す。この世界権力機構のメカニズムは一九四〇年にフラ-によって「産業に影響を与える純粋科学が最も衰退するのは戦時下である」ことが論証できる九二の再生的科学的元素の発見の歴史調査で解明された。
このようなバブル経済の仕組みはどんなに進んだ子どもにも理解不能だ。負債、債務、借入金(国債、公債)はすべて借金と同義語である。身勝手な造語を無数につくりだし、難解さを知的な姿だと刷り込まれて記憶力だけを競って誉められる子ども以外は、騒ぎはじめるか、寝てしまうだろう。いかさまのポーカーのやり方なら、興味を持って理解される。手の込んだハンカチ落としには、彼らは集団で熱中する。経済は「取るか取られるか」という、取られたほうが死んだフリをするフリーズゲームだということをいずれ発見する。そのために宇宙船地球号の緊急時の化石燃料が膨大に浪費されている物理的現象に気づくだろう。

軍隊を進駐させなくても他国の経済支配が可能な軍事とと経済とを統合した支配のテクノロジーは、相手を殺傷しないで支配をより継続できる消費システムに順応させていく条件反射装置を忍び込ませるほどに進化した。建物にも人体にも外的損傷がない中性子爆弾は、短期間の殺傷数を誇る核兵器としての最終兵器であった。しかし、軍事・経済を統合した支配のテクノロジーでは、支配の形態はまったく変容する。目的はより効果的な世界支配である。
ベトナム戦争が終わったとされてから、名目は戦後復興の経済援助として化学肥料無しでは収穫率が低くなるような品種米をアメリカは無償で援助し、やがて化学肥料と農業なしでは生産性が向上しないことに気づいた農民に、それらの購入のために土地を担保に債務を負わせ返済できない農民から担保以上の物件を取り上げ離農させるといった段階的に農業を壊滅させる戦略が、ゲリラ戦に敗北した当時のマクナマラ長官によって考案され実施された。ドルに対するベトナム通貨レートから見れば、アメリカは最も少ない資本投下でそれを成し遂げた。表向きはベトナム人の経営する金融システムが代表する自由主義経済を支援したばかりではなく、アジアの自然農法に見られる太陽光による炭酸同化作用のプロセスにできるだけ貨幣を介在させるように機能させるだけで、枯葉剤や非戦闘地帯の地雷のように人道的な世論の猛反対を受けずにより効果的に農作物を減少させることができた。農村に帰ったゲリラ兵を再組織させない最も効果的な戦略となった。手放された土地には雇用促進のためとされた工場が建設され諸外国から見ればそれは生き生きとした戦後復興の近代化に見えた。しかたなく離農し教育もない彼らは、できたばかりの工場の下請けの単純労働者になれれば幸運だった。アジアを代表する稲作は、単位あたりの収穫高は高いがコストパフォーマンスを低くされたアメリカの遺伝子工学の品種改良テクノロジーによって、ゆっくりと大地から消え去っていく。現金を持たない農民を離農させることは、稲作のように天候に左右されないので確実性があった。土地譲渡をベトナムの法律を利用して達成する。不運なことを「受容」するアジア的態度は、支配者側に「受容」できなくても分析し利用することが徹底的に研究された。
地下茎のように伸びるゲリラ組織が再び地上に共産主義となって現れる前に、「水」と「空気」と「光」から永遠に食糧補給されるメタボリックシステムに不可欠な「土壌」という先祖から維持してきた共存のための見えないエコロジー機能は「土地所有」に置き換えられてほとんど根絶やしにされた。それは核兵器のような短期間な視覚的破壊ではなく、長期的に合法的な見えない破壊である。支配のための自動戦争機械は兵器としての形態も機能も持っていない。見えない生命圏の機能は見えない戦争のターゲットとなった。
これらの事実は権力テクノロジーが引き起こしている「宇宙船地球号」の危機である。しかし、権力テクノロジーの存在を左右する危機も存在する。それは「宇宙の進化」によって生じているというのが、デザインサイエンス革命の新たな視点である。


3. デザインサイエンス革命
土地譲渡の理論と歴史は何世紀もかけて最初の「でっちあげ」を法律システムの抽象性でパッケージして、今では経済の根幹をなしている。宇宙の機能を除外した経済システム以外の選択の可能性を考えられなくなっているだけである。
止むことのない野蛮な経済的搾取は、個人の自発的な行為をスポンジのように吸い取るだろう。車と家と家族を持つために当たり外れの多いローンに自分の残りのほとんど人生を抵当に入れてしまって、不確定な未来に生かされている搾取の実態を知るためには、自分の肉体を形成する個々の分子や原子のことを考えるだけで十分だ。そもそも、生理学的に半年以上体内組織に留まっている物質は存在しない。新陳代謝で総入れ替えがいつも行われているので、右手の人指し指を構成する同じ分子の配列を六ヶ月間維持することができない。「成長」や「老化」は、その複合的な過程の外観の変容を統計的に表す言葉である。筋肉や脂肪などの組成はお金で買った食糧の変形でもあるので、自分の所有する物質だと主張はできても、食物摂取を通して循環する再生的な宇宙のパーツが構成と分解を繰り返しながら維持される機能は、平均八〇年間宇宙がわれわれに無償でレンタルリースしてくれているのである。髪の毛や筋肉や脂肪のそれぞれ果たす機能には、誰もローンを支払ってはいない。
滑稽な話にほど人は群がっていく修正を環境から作られる。科学的な思考には一時間も耐えられないのに、なぜか一〇年も耐えない家に三〇年ローンを払いつづけることには耐えられる。複雑で巧妙な条件反射の刷り込みは自力で外せない。このことは第4章のフラ-の「自己規律」の理解への障害にもなっている。
今のところ国家や企業が、われわれ人類の遺伝情報の著作権を主張することは法律的にはできない。しかし、鼻が高くなったり頭の良くなる遺伝情報は、法律化資本主義の利益の源泉にできる。すでにクローン化した牛や羊では、いつでもCDのように大量生産できるテクノロジーといえる。
個人がテクノロジーの価値を宇宙で位置付けるイニシアティブを持たなければ、生産力は容易に搾取される。
法律システムでは「土壌」はいまでも「土地」とはちがって「価値のつかない価値物」であり、環境や生命の価値を評価するシステムは生物学でも経済学でもない。しかし、宇宙では太陽の光は「価値のつかない価値物」でもなければ太陽系の自発的な「無償の行為」でもない。アポロ13号ではその「光」で発電し、月の引力という「価格のつかない価値物」の「機能の対象化と利用」がなければ、月から帰還することは出来なかった。月の引力で動植物が生殖したり、出産することは科学的な事実である。それは、月の裏側のクレーターにある石の質量にも関与しているのである。
宇宙と生命の相互作用的機能が除外されている環境は存在しない。

環境とは、自己以外のすべて
宇宙とは、自己を含むすべて
自己とは、環境と宇宙の境界

という七〇年代のフラ-の詩の一節はそれをさらに鮮明に裏付ける。
六〇年代から始まった地球エコロジー運動は最終的には宇宙エコロジー運動に包括されなければ永遠に自己に関係した統合的な相互利益を保護できないことを意味している。「自己以外のすべて」の「環境」には「自己以外のすべて」となる「他者」を含んでいても、「自己」の問題を除外しているのである。自分の身体内の汚染は「他者」から見れば「環境」の汚染である。しかしそれは「自己」の汚染ではない。汚染は地球エコロジー運動の正当性を論証できる物質的証拠であるが、「汚染」は、生物の同じ作用を「発酵」と「腐敗」のように人間にとっての有用性で定義した、発酵食品業界が必要とした概念に似た分類用語である。いまやダイオキシンを発生させない焼却炉を製造する企業が商品を販売する上で必要とする概念である。ペニシリンやカナマイシンなどの抗生物質は二次的代謝物質であり、それらの微生物にとっては生命に不可欠ではないものを生産していることがわかる。自分たちには無用のものをつくりだすが、汚染物質ではない。われわれはテクノロジーの力を借りて有用物質と有害物質をいきあたりばったりで生産する奇妙な哺乳類である。生命維持に不可欠なものとそうではないもの(アブノックス――その定義は第6章を参照)も、資本主義社会で価値をつけられた価値物の生産という一次的代謝活動の結果、人間にはほぼ有用な、しかしたいていはビジネスの介入によって高価すぎる非効率的な大量の道具を作り出す。一時的に有用と思えるが結果として有害物質を生産する側も、後から汚染被害を訴える側も、ともにペニシリンの持つプリセッショナルな存在の働きを除外している。ある生命にとってその生命維持に直接不可欠ではない(場合によればまったく無用な)ものも含む、すべての働きによって全体が支えられていることが注目されなければならない。そのすべての相互作用が解明されるのは困難であるが、それゆえにやがて汚染物質を健康上は許容できるという政府が主導する研究機関の規定する基準値内で、太陽系における「自己」存在を除外した地球エコロジー運動は制御されていくだろう。煙突から出る煙の量をより少なくするという議論からは、煙突を不要とするテクノロジーはつくれない。(火力発電の不足が原子力発電に置き換えられた時、煙が出る煙突は消えたが、煙突から絶対に出せない目に見えない放射性物質がまとめてどこかに保管・廃棄されてだけである。)
エコロジーとは、自然科学の領域を越えて、「宇宙」、「環境」そして「自己」とのすべての相互作用を意味する。エコロジーは意識しようがすまいがフィジカルにもメタフィジカルにも働きかける。
発見や発明は本質的に無限であるが、目的的存在からみれば無用なものなので、社会的には二次的代謝物質とされる。したがって「発見家」や「発明家」という職業は存在しない。発見や発明が社会化された時にはじめて、結果として無用と思われたものから有用性を引出した合目的行為として価値づけられる。それゆえ、九九.九%の「無用の用」ですらなかった不合理な行為が有用性を相補的に支えている、という事実には注目されない。必要性から確かに発明はなされるが、それは成功した結果から考えられた発明者の存在理由の合理化である。発明者にその発明の価値の分析という社会的義務はないが、すぐに有用性を求められてする発明は時代にほとんど影響を与えないことがわかっている。合金の性能を期待して新たな金属元素が発見された例は存在しないように、最初は複数の部分が偶然別々に発見され、その後の相互に関係づけられる以外に、全体のシステムの働きを予測することは不可能である。合金の威力が証明された後に第二の合金探しをするのは、ある価値生産を当てにした合目的行為としてすでに価値づけられている。このレベルから始める行為を、産業社会では「研究開発」と呼んでいる。アメリカ大陸を発見したコロンブスが、それ以前からその土地に住んでいた原住民を無視したように。
しかし、テクノロジーの歴史は生活水準の向上とともに、この二次的代謝物質の加速的な増加を示している。それはあたかも人類が発見や発明を意図したかのように加速する。戦時下ではこの加速が例外なく失われるという事実からも、発明や発見は生命進化の主目的として理解できる。しかし、アンチアブノックス(二次的代謝物質)はアブノックス(一次的代謝物質)の欲望と合目的性を理解できないので、アブノックスはアンチアブノックスを排除した状態を独占する傾向にある。社会組織は人為的なものであり、その結果、発明や発見は二次的代謝物質として扱われてきた。つまり、無数の個人発明家が原住民の歴史のように忘れさせていく傾向を作り出す国家科学の記号言語を支配するテクノロジーが存在する。発明や発見ほど、客観性を装った科学技術情報の国家管理によって、したがって特定の国の利益のために、それらの起源に関する場所や日時がゆがめられているものはない。個人発明家をプリセッショナルに動機づけていることが明確に証明できるデータを個人が科学的に探求する意義は大きい(付録I、付録II)
デザインサイエンス以外のアプローチは、この計り知れない「自己存在=ペニシリンを生産する微生物を含む生命」と非生命との相互作用の働きを「宇宙」から排除している。自分自身に気を配ることは、科学的行為ではなく、「自己」を除外することが科学的な客観かだと教育されてきた。産業社会にとって、発明や発見は主観的な行為の偶然の結果であり、したがってその理解に見合った消費税程度の特許使用料(ロイヤリティー)が支払われるが、人類にとっては、最初の個人による自己の経験の客体化なのである。
宇宙エコロジーは、地球エコロジーが「自己」を除外してもしなくてもあらゆる「自己を配慮」するように、プリセッショナルに機能する。あらゆる面で人類は統合されつつある宇宙時に直面している。

自宅から宇宙に毎月の支払いができる唯一科学的な方法は、デザインサイエンス革命が提唱する時間-エネルギー経済システムである。効率の良いソーラーシステムを発明した個人は、特許使用料に加えて自宅の発電量から逆に支払いも受けるだろう。その富は再び発明に向けられる。富とは「全宇宙的に作用して天体から放射されてくる一定の自然エネルギーの収入だけを、個人のイニシアティブによって変換し組織する能力とノウハウ」にほかならない。
フラ-は、個人が「生き残る戦い」を回避できる大気圏内での最も安全で具体的なクリティカル・パスを提案する。それは、大気圏内の宇宙開発である。(なぜなら大気圏が境界となって、宇宙は「内」と「外」には分離されない。)クリティカル・パスは科学的な予測であって、前述のような政治的な狡猾さが引き起こす不確定な対象化はこの危機にあっては除外される。デザインサイエンス革命は政治権力への抵抗ではない。動的に外力を分散する、統合された柔軟なネットワークによるテクノロジーの構築である。科学的戦略に基づいて集中と分散を繰り返しながら構造を安定させる生産機能を持っている。
人も住めないチェルノブイリ原発とその周辺は、最大級のジオデシックドームで覆われるだろう。(フラ-の後継者達は具体的な設計図と計画案を準備している)
重力で歩行も困難な宇宙服を着て、鳥のいない森へ行くほど愚かではないはずだ。われわれは、オゾン層とヴァン・アレン帯の見えない最もエレガントな宇宙服のデザイナーには決してなれないことは知っている。オールドマンリバーズシティー計画(第10章参照)が達成される日まで、最後の想像力を伝えられるかどうかにかかっている。

『クリティカル・パス』に解説されたように完全な「人間解放」をもたらす具体的な人工物は、すでにフラ-によってプロトタイプとして鋳造された。
コンピュータソフトウェアでソースコードを公開するオープンソースコードモデルに相当する手法の源泉は、コンセプトとプロトタイプ(つまり、ソフトウェアとハードウェア)の公開という、フラ-によって提案されたデザインサイエンス的手法にある。人工物のプロトタイプとその内部構造が公開され、つづく量産過程でより補完的な製品開発が促進される。(出版後IBMのビジネス戦略開発チームは『クリティカル・パス』をテキストとして採用した。またテッド・ターナーは『クリティカル・パス』そのものに触発されてCNNの起業家になり、インド上空の教育衛星を運営している)。主要なハードウェアを組み込んだシステム構築サービス全体を発展させていくデザインサイエンスの戦略は、「ブラジル産業計画」(第9章参照)で採用された。(サトウキビ栽培とアルコールエンジンの関係づけはフラ-の提案によるが、合板製造による彼の外貨獲得計画は先進国に主導権を奪われ熱帯雨林が危機に晒されている。)
日本がアメリカ全土の一〇倍分買える富を一九世紀的なポーカーゲームに負けて、その富のほぼ相当する額を借金として抱え、長期返済ローン計画を知らされて無気力になっている間に、法律家資本主義による世界権力支配の決定的な段階がアジアの稲作地帯全域に到来したことには変わりはない。アメリカの宇宙開発は、軍事産業と最初から見えない軍隊としてその実態がわからないCIAのほんの一部分をリストラし、宇宙空間での覇権を確立するために再開されたことも事実だ。しかし、たとえばオールドマンリバーズシティー計画を遂行する生産力を個人に移行させるフラ-のように、自己のテクノロジーのノウハウを計画的に蓄積すれば、「クリティカル・パス」の未来を失わせるほど権力のテクノロジーは強大ではない。デザインサイエンスの統合的テクノロジーの方が、権力のテクノロジーの分断力より生産力に対しては効果的に機能する。互いに自立するが非連続的に孤立する単位(モジュール)が統合的なテンショナルな存在によって連続していくジオデシック・テンセグリティ構造体のように、柔軟な強度を生むのである。
『クリティカル・パス』はコンセプトとプロトタイプの公開に溢れている。それは不自然な多くの哲学的抽象論を省略する。


4. 自己のテクノロジー
晩年のフラ-が最も情熱を注いでいたのは「シナジェティックス」であった。シナジェティックスに関係する講義では、いつもの倍の速さで喋っていた。講義が長引く場合はその時考えていたシナジェティックスに集中したからだった。同じ話は繰り返されない。同じ意味は違った言葉でいく通りにでも変えられた。そのシンタックスの美しさは、日々の経験の動的な関係づけの明晰さから生じている。アンチ・非ユークリッド幾何学は思考する幾何学である。その二〇〇〇頁にも及ぶ『シナジェティックス』には引用文献はほとんどない。
原初的な次元で感じることを、なにものにも置き換えられないくらいすばらしいと感じることは、宇宙のなかで詩的で科学的な出来事を経験しているということである。フラ-はそれにふさわしい新たな幾何学の創造に集中した。それは、幾何学者、科学者、詩人、教師であると同時に、あらゆる政治権力を根底から否定する大量生産のテクノロジーで武装した個人主義アナーキズムを自発的に組織するデザインサイエンス革命化モルモット「B」であったはずだ。この永久革命家「B」の存在は、教師と学生の関係を超えていた。学党派制も否定された。自発的な個人から成る共同性が求められ、その結果はプロトタイプに刻まれた。
アメリカ情報局の突然の依頼によって一九五四年に二五日間で開発され、アフガニスタンのカブールに空輸された全天候性のジオデシックシェルターから、遊牧の民たちは遊牧の現実存在の基本条件(解体と移動)を空間化したテクノロジーを直感的に読みとった。空輸可能な巨大シェルターは、アフガニスタンでは戦争機械そのものである。アメリカ情報局は、デザインサイエンス革命の威力をテストする必要から実践的なプロジェクトに協力したと思われる。しかしこのようなプロトタイプがデモンストレーションされるごとに、国家的科学はジオデシクスやシナジェティクスのような浮遊的・回遊的・遊牧的科学から物質をより使わない独占できる応用科学的技術だけを採用し、許認可の制限のなかに従属させ、その適用範囲を限定し管理し、結果として広範囲な社会的発展の阻止を目的としていた。その結果、当時宇宙空間はまだ社会的空間ではなかったので、大気圏外の最初の構造物を開発するNASAのプロジェクトに採用された。大気圏内の地上の土地資本主義と融合した建築業界では、物質をほとんど消費しないエフェメラリゼーションのためのテクノロジーは金儲けの手段になりえなかった。人工物の重量計算を無視した建築専門家集団は銀行の擬似システムと地上的に融合した。(現在彼らは、法律家資本主義の指導のもとに、九〇年代の情報技術と金融システムが融合した新たな金融工学の擬似システムによって、権力構造自体をリストラした結果、外部的に著しく陳腐化させられた。しかし、これらの廃れていくべき局所的な現象は、政財界では危機と呼ばれている。)
彼は、個人で複数の特許出願をすることで国家的科学の取り込みに対抗する。特許制度は個人に独占を許した資本主義の例外的な法律システムである。どんな発明も個人の経験から始まるという事実は、デザインサイエンス革命の拠点である。六〇年代から公開されたこれらの特許文献は、アメリカ特許庁から世界中に送料込みで一ドルで郵送された。彼の早すぎる発明は、最も優れたデザインサイエンスの最初のテキストとなった。
テクノロジーの生産性を戦争と産業搾取する限り、永久に「B」は存在するだろう。
デザインサイエンスのクライアントは宇宙である。「宇宙の要求」を感じて行動できるか、それがカルト集団の宗教的ドグマに聞えるかは、個人のイニシアティブにかかっている。彼の半世紀にわたる「クロノファイル」とプロトタイプは、自発的な個人にいつでも実現可能なテクノロジーを明らかにしている。所有意識では決して満たされない、名詞では癒すことのできないマインドは、新たな関係づけを求める動詞に満ちている。
R.バックミンスター・フラ-は宇宙に着手していた。その宇宙とはテクノロジーそのものである。
この『クリティカル・パス』は紛れもなく「ラクダの背骨を折ることのできる一本の麦わら」である。「はかなくも効果的な張力」は、統合システムという完全に重さのないメタフィジカルな存在によって機能することを発見するだろう。
プリセッションは、教育システムで合意されているような「競争」によっては決して成し遂げ得ない。プリセッションは硬直した過剰な力には生化学反応すらしない。しかし、硬直的でも過剰でもない力――それは一本の麦わらのマインドに違いない――になら、物理的に反応するだろう。もしそうでなかったなら、われわれの「知性、独創力、非利己性、包括的完全無欠性(インテグリティ)、遂行能力」が惑星地球上で果たす役割は、モルモット「B」の唯一の反例を残したまま、焼かれていくだろう。
われわれの惑星はいずれエントロピー的には太陽になる。自分の発明した産業機械の排気ガスで、海面上昇を人間の感じる速度で加速しているだけだ。増えも減りもしないエネルギー保存の法則に厳密にしたがって。
自己のテクノロジーだけが常にシントロピックな統合性を発見する。
局所的な武力闘争と過剰な経済心理戦争に巻き込まれてほんとうの危機的状況に反応する判断力が麻痺していくこの世界に、もう二度と身を横たえることはできない。新しい革命まで。全プログラムを「経済」と「テクノロジー」のカテゴリーに分け、経済を優先すべきであると考えた社会は衰退する。統合した分析力をもっていたアジアの船乗りの「金貸しは風は貸せない」という権力テクノロジーとの戦いを刻んだ言葉と自己のテクノロジーに勇気づけられる。


後記
一九九四年から約二年間、翻訳のための学習会を主目的に組織されたデザインサイエンス研究会で献身的な翻訳と課題の検討に貢献した奥田公介氏、四戸純市氏、徳田敏史氏、保坂幸司氏、に感謝の意を表したい。またそうした研究のための初期段階の翻訳と資料の作成を中心的に担っていただいた定森晴子氏やその協力者たちに、そして年表の適切な技術用語の資料収集と製作に貢献した山根俊彦氏にあらためて感謝の意を表したい。単独作業に入るまでの諸段階でのこれらの方々との検討なくして、この書の深いメッセージは理解される形にはならなかったと思う。そうした作業の後に再度全般的な翻訳に挑み、すべての語とシンタックスの検討にさらに三年間を要してしまった。またこれらの過程で、バックミンスター・フラ-研究所のボニー・ゴールドスタイン女史には、様々な質問に対して「クロノファイル」からの検証を試みていただいたことにお礼を申し上げる。私の妻であり、シナジェティックス研究所の梶川鮎子には各章の統合のための校正で、テンセグリティ開発と同様に共同性を持続できたことに心から感謝する。
この翻訳を通して、人工物の開発の意思決定に不可欠なクリティカル・パス法のノウハウが私個人に蓄積されたことは、行動パターンに少なからず試練と変化を生じさせた。特に独自のテンセグリティの開発は、『クリティカル・パス』の翻訳作業と平行に進めたせいでプロトタイプ製作にリスクの高い環境を作り出したが、それを軽減するクリティカル・パス法の現実的威力はこの翻訳から学ぶことができた。
翻訳は言語のモデリングであるという発見は、長い間の「翻訳も創作である」といった脅迫めいた声を消し去っていった。
本書の出版の意義への深い理解と編集上の要を担っていただいた白揚社の鷹尾和彦氏、ドローイング、写真、図版とテキストの校正を担当された同出版部岡本充俊氏に、出版企画から編集時のデジタルワークまでを担当された三好正人氏に、内容に即したカバーデザインの岩崎寿文氏にそれぞれ心からお礼を申し上げる。
この出版がデザインサイエンス革命の日本での最初のマイルストーンを築き、継続した活動に発展させている個人たちと出会える日を期待したい。
バックミンスター・フラ-研究所(在サンタバーバラ)にて
一九九八年七月一二日 梶川泰司

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★ google: [バックミンスター・フラー]
★ 「適正技術研究会 in 徳島」
★ 五十嵐太郎-「サバイバル時代の建築家:バックミンスター・フラー @ Web Critique」
★ ジオデシックドーム設計のほとんどには計算上のミスや問題があることを知る
★ Sonic Dome(ドーム内部のまあるい空間の響きを体感)
★ ドームのセルフビルダーたち
★ 石山修武:セルフ・ビルド/自由/フラー、ソロー(Hotwiredインタビュー by 江坂さん)

「宇宙的原価計算だけが、地球の生物学的進化と宇宙の相互変換的再生の、互いに完全に依存しあう電気化学的、生態学的な関係を一般的に説明する。そのうえ宇宙的原価計算はわれわれのちっぽけな惑星の地球とちっぽけな恒星である太陽が相互に機能する自然界の神秘的な機能に潜む全体性から、重力的かつ放射的に機能する部分を説明する。宇宙的原価計算は、地球に乗り込んでいる人類によってうやうやしくも演じられている利己的でおそろしいほどに人為的な「財産」ゲームをまったくばかげたものと気づかせる。
幸いにも、太陽は全宇宙的構造の中で放射として地球上に運ばれる全エネルギーに対して何の支払いも要求しない。それは、われわれの抗しがたい無知と恐れにもかかわらず、人類が成功するように促しているのである。人類が目覚め、繁栄し、あらかじめデザインされたということに対して意識的に重要な宇宙的責任を引き受けるように、恒星たちは伝えようとしている。その責任に基づく認識と遂行には、宇宙における人類の取るに足らない筋肉とマインドの宇宙的な成長による進化論的な発見を伴うので、地球上にまかれた人類という種は実を結ばないかもしれない。
宇宙が重要で機能的な相互依存をはぐくんでいる時は、ことわざと同じように彼女の胎児すべてを「一つのバスケット」(* don’t put your eggs in one basket = 一つのかごに卵を全部入れるな-1つの目標に全精力を投じるなの意)に入れるようなことはしない。マインドの無限の可能性と相対的にその筋力の平凡さを地球上の人類が自己発見する見込みはほとんどないので、大自然は無数の惑星上に人類と同等の機能を持った無数の種をまいたに違いない。局所的宇宙の重要情報収集者として、また局所的宇宙の問題解決者として、永遠に再生可能なシナリオ宇宙の完全無欠性(integrity)を維持する為に、局所的宇宙の情報収集を行う人間機能という装置は、様々な宇宙の環境と同じく多様なものだろう。人間生物体の出現はまれだろうが、それゆえに惑星地球と似かよった環境条件でのみ、その機能は用いられるだろう。
人類がこの惑星上で善を成したことを示す最初の行為は、地球人の間で主流をなす審議に宇宙会計学を真剣に導入することだろう。
生産機能から重要な「資本的」資産をひそかに貯蔵したり、引き出したりという失敗を人類が犯さない限り、宇宙会計学は破産する会計学の経済的正当性を完全に排除するのである。資本的資産の引き出しは天体システムから星の一つを回収しようとしていることに類似している。宇宙の全体性以外にありえないこの宇宙のどこへその星は運ばれるというのだろうか?すべての原子と電子は永遠に再生可能で-それゆえ全体としては枯渇することなく(しかし、つねに局部的には増えたり減ったりしている)-脈動する宇宙の最も重要な部分を担っているのである。」(『クリティカルパス』 白揚社 刊 p.209-210 訳:梶川泰司)

Posted by @sushi at 07:54 PM | Comments (38) | TrackBack

May 09, 2003

burningmanにresecass持って行こうぜ








http://my.reset.jp/~magarisugi/bm/index.htmlより




1999映像
2002映像

『バーニングマン』で電力供給を考える
http://www.hotwired.co.jp/news/news/Culture/story/1270.html誰にでもお勧めできるイベントではない。砂漠で72時間耐え抜く覚悟のある人に限る、とローズ氏は付け加えた。



Posted by a77a at 10:53 PM | Comments (32) | TrackBack

April 27, 2003

星野道夫の宇宙 松屋銀座にて開催中
Categories: animal | art | eco | mind/kokoro | pics

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◆会期:4月23日(水)〜5月5日(月)
◆会場:東京・松屋銀座
◆主催:朝日新聞社、テレビ朝日
◆協力:星野道夫事務所
◆監修:三村淳

info

星野道夫略歴

Posted by hur at 12:27 PM | Comments (14) | TrackBack

January 31, 2003

RECYCLE
Categories: eco

Recycle関係の話題・議論

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Posted by @sushi at 12:55 PM | Comments (11) | TrackBack

December 01, 2002

電力関係NEWSスレ
Categories: eco | energy | news

電力6割自由化へ、05年度めどに対象拡大 Source: Yomiuri Shinbun

経済産業省が年内にまとめる電力自由化案が30日、明らかになった。現在、工場などの大規模利用者向けだけに限られている電力小売り(販売)の自由化対象を、2005年度をめどに中規模の利用者にも広げ、電力消費全体の60%超(現在28%)の市場を自由化する。東京電力などの既存の電力会社以外の参入が一段と進むことが見込まれ、競争促進の結果、国際的に割高な電力料金が下がる効果が期待される。

自由化案によると、新たに自由化される対象は、契約電力が50キロ・ワット以上2000キロ・ワット未満の利用者向けで、中規模の工場やオフィスビルなどがカバーされる。

ただし、一般家庭など小規模向けを含めた全面自由化は「最終的に目指す」としている。「自由化によって競争がきちんと進展しているか、電力の安定的な供給が阻害されないか見極める必要がある」として、実施時期の設定も見送られた。

経産省は、この案を基に大手電力各社と最終調整した上で、総合資源エネルギー調査会(経産相の諮問機関)で最終案をまとめ、来年の通常国会に電気事業法改正案を提出する。

(12月1日03:02)

Posted by @sushi at 03:39 PM | Comments (6) | TrackBack

November 27, 2002

太陽スレ
Categories: +++sun+++ | eco | energy | news | phuture | sci/tech

太陽スレを立ち上げときます。
太陽関係のネタの宝庫になることでしょう。

まず、1個目〜。御影堂、やったらんかい!ドアホ。

> 御影堂にソーラー瓦 東本願寺は否定的
>
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2002nov/27/W20021127MWD2K100000002.html
>  真宗大谷派の僧侶グループが26日、東本願寺(京都市下京区)の御影堂
> (ごえいどう)修復でソーラー化(太陽光発電)導入を求める署名を宗派に出
> した。宗派は「(明治期の)再建当初の姿に戻す、との基本方針に合わない」
> として、実現が困難な見通しを示した。
>  「両堂屋根瓦のソーラー化を実現する会」の立島弘・称名寺住職(64)=富山
> 県小矢部市=ら2人がこの日、三浦崇宗務総長と面談した。環境保護に寄与す
> るために、御影堂と阿弥陀(あみだ)堂に、景観に配慮したソーラー瓦を採用
> するよう求める僧侶や門信徒ら582人の署名を手渡した。
>  大谷派によると、両堂修復の工法などを審議する宗派内の委員会は、専門家
> の調査や試算などを交えてソーラー化を検討した。その結果、瓦をガラス製に
> 変更する必要があることが明らかになった。「環境保護の視点は重視するが、
> ガラス瓦は、『再建当初に復する』との修復の基本方針に合わないことを審議
> の過程で確認した。来月にはその方向に沿った最終報告がまとまる」(総務部

> という。
>  これに対し、立島さんらは「御影堂は時代の課題に応じて変わるべきだ。今
> 後も広く市民や環境団体に向けて、ソーラー化を提起する」としている。

Posted by a77a at 04:08 PM | Comments (128) | TrackBack